2017年雪組トップコンビ退団公演「幕末太陽傳」の軽快な芝居

スポンサーリンク

お久しぶりです。
イヤに長いことブログを放ったらかしにしてしまいました。

この記事を書き始めてから色々と忙しくなり、DVDも買ったことだからもう少し待って細部を見てから書くかな、と思っていたのですが、一度放ったらかしてしまうと、なるほど再開するのは結構難しいものです。

滑り込み観劇をしたのが7月ですから、すでに半年近くたちました。1日2日でチケットが手に入るわけがない、早霧せいなの退団公演です。 かなりいい席を手にしましたが、それは例の「オトナの力」を使ったからであり、腹立たしく思いますが、まあ仕方のないことです。

以前「一回観劇したくらいで批判を書くなんて」という拍手コメントをいただきましたが、最初の印象が一番新鮮なものだと僕は今でも思っています。結構ボンヤリしているので、細部をDVDで確認はしましたがそれでも勘違いや間違いがあるかもしれません。何回も観なければ批評や感想を書けないというなら、1ヶ月のうちに何十もの舞台を観るニューヨークの批評家は皆商売上がったりです。ということで、以前のように言いたい放題です。

 

1957年フランキー堺の「幕末太陽傳」

 

さて、僕は残念ながら1957年の「幕末太陽傳」を観たことがありませんでした。いやまだオムツをしていたころですから、まさか記憶があるはずもなし。
正直あまり邦画を観ないので、知っているのは黒澤明の映画ぐらい。前回の出張ではそのデジタル修復版を購入して持って帰り、昨日やっと観ました。白黒ですが、今観てもテンポがよく江戸っ子弁が懐かしいです。

今のテレビ番組のような「日本語字幕」が全くなかった時代です。 たぶんこの昭和30年代の早口江戸っ子弁はわかりづらいのではないでしょうか。僕が若い生徒さんたちの滑舌が悪いと嘆くのとは全く違うのですが、耳慣れない言葉遣いはそれでも現代の若いひとたちには理解するのが大変だろうと想像します。東京下町の年寄りたち(つまり三社祭で町内会のお揃いの法被を着て手伝いの指揮をとっているようなオジサンオバサンたち)には全く問題なく理解できるのですが。

この時代のフランキー堺は下世話で飄々としていて、たとえ今の早霧せいなと大して歳が違わなかったとは言え、宝塚の舞台に観られるような上品で華やかな雰囲気はありません。僕はまだ生きていたころのフランキー堺をテレビで知っていましたが、彼のどんなに呵々大笑してもまるで笑っていない冷たい小さな目が怖かったのを覚えています。

そのフランキー堺の怪演が話題になった(らしい)映画を舞台で再現したのが、この「幕末太陽傳」です。

 

早霧せいなの明るい笑顔が輝く居残り佐平次

 

居残り佐平次は、主役と言うより人々の周りを忙しく飛び回る狂言回しの役割です。出演している人々が皆「物語」を持っており、ましてや落語をベースにした小噺が多いので、入れ替わり立ち替わり沢山のひとたちが行き交います。時として、早霧せいながその個性的なひとびとの間に飲み込まれそうになるのが残念ですが、それは舞台の楽しさとは違う次元の話です。

さて、舞台は懐かしい昭和の匂いを撒き散らしながら、ポップ調の曲を取り混ぜて始まります。この始まりは僕が最も好きな場面でした。何しろ出演者全員が時代劇風の色の洪水とともに楽しそうに踊っているのですから。どうしてもこちらの唇もゆるんできてしまいます。

早霧せいなは持ち前の明るさとあの笑顔で舞台を所狭しと走り回り、ひとびとと交わり、口を挟み、大声で周りのひとを煙に巻きます。カラリとした爽やかさが心に残りましたが、胸を病む佐平次の心の闇にまではおそらく手が回らなかったであろうと思いました。

舞台はあくまでも明るくコミカルで、テンポのよい台詞回しと間合いの良い大げさな身振りが観客を最後まで飽きさせません。彼女はあの屈託のない満面の笑みで最後の舞台を終えたいと考えたのでしょう。そして、それは彼女にしかできない佐平次を僕たちに見せてくれました。

ただし、あの底抜けの明るさが卒業の寂しさを笑いで振り払ってくれたとは言え、最後はじっくりとした恋愛モノも観たかったというジレンマもファンにはあったのではないでしょうか。僕はあの「ローマの休日」で彼女の見せた包容力と、女性がぽっと顔を赤らめるであろうカッコよさを、シリアスな舞台でもう一度観たかったなあと思いました。無いものねだりです。

 

愛らしい女郎の咲妃みゆはもう少し自立してほしかった

 

咲妃みゆはおきゃんで憎めない愛らしい女郎を演じていました。蓮っ葉な物言いをしても、そこはかとなく漂う宝塚の品の良さが好ましかったです。ただし、最後に佐平次と一緒に「アメリカに行って板頭になる」という、取ってつけたような(しかも荒唐無稽な)オチには少々戸惑いました。

佐平次とおそめをカップルとしてくっつけてしまうのは、このトップコンビの二人が一緒に退団してしまうという事実にかんがみて納得するひとも多いでしょうが、僕はやはり佐平次には韋駄天のごとく「未来に向かって」走り去ってほしいと思いました。

おそめだって旅支度をして全く違う方向にゆっくりと歩いていったっていいじゃありませんか。

 

少々物足りなかった望海風斗の高杉晋作と若い長州藩士たち

 

望海風斗の高杉晋作は、映画では石原裕次郎が演じていた役です。石原裕次郎は高杉晋作のどうにも隠しきれない若さを見せていましたが、望海風斗はそれよりは老成した雰囲気を醸し出していました。周りの若い長州藩士たちが若く血気盛んなだけに目立ったのかもしれません。最初の登場で星乃あんりを横にはべらせながら艶のある都々逸を披露してくれましたが、この場面だけが見どころのようで少々物足りない気もします。

また、その後周りの若い長州藩士たちが掛け合いで楽しい曲を歌ってくれましたが、ここは僕には歌詞が全く理解できず、何を歌っているのか初めてわかったのはDVDでじっくりと観てからです。率直に言って滑舌が悪い。姿かたちの麗しい新進の男役たちでこれからの宝塚を担うのでしょうから、今のうちに何とかできないものでしょうか。指先まで神経の行き届いた所作と舞台の会場の隅々まで響き渡る声は舞台人の命とも言えると思います。

それでも要所に汝鳥伶のような確かな脇役を配し、また和物芝居にはかかせない香綾しずるもコミカルな味を上手く出していて笑わせます。僕が香綾しずるを初めて観たのはDVD「心中・恋の大和路」でしたが、その流れるような所作と淀みのない声に惹かれ、かなり上級生なのかと勘違いをしていました。このまま専科で芝居に専念してほしかった男役で、退団が惜しまれます。

 

誰にでも納得が行く楽しい舞台だが

 

「幕末太陽傳」は江戸の市井のひとびとが様々な落語をもとに切り取られ、まず女郎屋を舞台にしていることからして、宝塚とは相容れない世界です。それがなかなかどうして「見せなくてもよい部分」を上手に隠し、華やかな色と欲と仕草のあふれる舞台になりました。原作の映画とは違い、あのフランキー堺の笑っていない小さな目と禍々しい咳を、早霧せいなのリズミカルで屈託のない大きな笑いに変え、最後の結末以外は誰にも納得の行く楽しい舞台に仕上げているのです。

いや僕は、それでも大劇場というよりバウホールなどの小さな劇場で「退団しない早霧せいなと咲妃みゆ」がラストに違う方向に向かって行くところで幕が下りるほうがいいなあ、と今も頭の隅に引っかかってはいます。それでは「宝塚のラスト」にならないのは重々承知なのですが。

こちらは公演収録のブルーレイです。

こちらはアマゾンのストリーミングレンタルです。東京公演大千秋楽の模様も収録されています。早霧せいなと咲妃みゆの退団の日でしたね。

 

にほんブログ村 演劇・ダンスブログ 宝塚歌劇団へ
にほんブログ村ランキングに参加中。クリックしていただけると嬉しいです。

コメント

  1. ナミ より:

    ヅカメンさん、こんにちは。
    随分長いこと更新されなかったので、もしかしてもうブログをやめてしまったのでは…と思っていたのですが、本日ふと久しぶりにうかがいました。続けていらっしゃったんですね!この記事からすべて、色々読ませて頂きました!
    どの記事もうんうん、と共感しながら読ませて頂きました。幕末太陽傳についてはまさに、でアメリカいって何も板頭目指さなくても…一緒に行って新しい夢をおいかけたっていいじゃない、と思いましたね。確かにヅカメンさんのように別の道を…も素敵かもしれません。
    何度もコメントするのも大変かと思いますので一度に、ですが、ひかりふる路や北翔海莉さんのイルモンド、現役ではわたしの大好きな鳳月杏さんについても記事があって嬉しくなりました。これからも気ままに続けて下さると、急いで読みに来ます!色々な方の卒業や退団発表、演目の発表があって宝塚って本当せわしないな…と思った次第です。今年も目が離せそうもありません。
    長々と失礼しました!(実は、わたしもこっそりブログをはじめております。宜しくお願いします)