僕は1974年初演の「ベルサイユのばら」を妹と一緒に観劇していた…

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梅田の「ベルサイユのばら45」大阪公演が始まりましたね。また色々な楽しいブログ記事やツイートが出てくるのを楽しみにしています。

さて、以前「シエスタの庭」のシエスタさんから、宝塚バトンを渡されたことがあります。

「宝塚バトン」を受け取ってオロオロ、取りあえず最初の質問に答えてみる
恐れ多くも「シエスタの庭」のシエスタさんからご指名をいただき、「バトンってなんですか?」と無知をさらしたメールを送ってしまいました。アンケートみたいなものだとおっしゃるので、それではやってみましょうということに。 ただし皆様御存じのとおり、...

そのときに僕は1975年の「ブリガドーン」が僕の最初の宝塚観劇体験だったと書きましたが、実はその前にもすでに観劇していたのです。

 

1975年以前の観劇を思い出す

高校生だったときと大学生だったときの思い出が、頭の中でごちゃごちゃになっていたようです。

先日妹と「ベルサイユのばら45」について電話で話していたときに、「何言っているのよ、最初に一緒に観たときお兄ちゃんは大学生なんかじゃなくて高校生だったでしょ。鳳蘭どころかその前の古城都だって一緒に観たじゃないの」と言われてしまいました。

ええ?そうだったかなあと思いましたが、話しているうちに段々と記憶が蘇ってきて突然「そうだ、古城都のカールと初風諄のマルギットで『霧深きエルベのほとり』だって観た!」と思い出しました。初風諄が泣きながらグランドピアノを弾いていたのまで、目の前に鮮やかに蘇りました。初風諄はピアノまで上手なんだなあと思ったことまで思い出したのです。(その話はまた後日…)

いやはや、妹の言葉に助けられたとは言え、人間の記憶というものは実際にジジイの脳の中にも完璧に蓄積されているのだと改めて実感。

つまり、僕は1974年初演の東京宝塚劇場の「ベルサイユのばら」を観ているのです。いや観ているのは知っていましたが、調べてみるまでそれが「ブリガドーン」より前だったとは…。ということで前置きが長くなりました。次々と思い出されることが嬉しくて、今回は全てそうしたベルばらの昔話です。

 

榛名由梨のカツラも化粧も長谷川一夫が指導していた

初演は長谷川一夫の演出で話題になりましたが、榛名由梨のオスカル像は全て長谷川一夫の手によるものです。カツラから化粧まで丁寧に指導した、と当時のプログラムに書かれていました。残念ながら当時のプログラムなどは全て処分してしまったようで、手元には残っていません。

僕は初めてその「オスカル」をプログラムで観たとき、あまりの美しさに自分でブロマイドまで買ったそうです(と妹が言っていましたが覚えていません…)。白黒写真ですが、まだ持っている方がいると見えてこちらにアップされていました。

今では少々ふくよかになりましたが、昔の榛名由梨の美しい姿です。

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僕だって泣いたアンドレの死

Wikipediaに書かれていましたが、初演の「ベルサイユのばら」が一番原作に忠実だったようです。それからのベルばらは「フェルゼン編」や「オスカルとアンドレ編」など色々な亜種が登場してかなり原作からは遠くなりました。

ただし、変わらないものもあります。アンドレの死です。どんなに撃たれても死なず、歌まで歌い始めてしまうあの場面です。思い出すだけで、なぜか少々目頭を抑えたくなるほど悲劇的で感動的でした。

また、もうひとつ長谷川一夫が残したものに、アンドレがオスカルに愛を告白してから一夜をともにする場面があります。暗転する前のラブシーンですが、あれは誰がやっても身体がボキボキいうほど無理な姿勢だそうです。観客の目から見れば、2つの彫像のように美しいシーンなのですが、さすが長谷川一夫は「見せる美しさ」をとことん追求していました。それが今にも伝えられているのはすごいことです。

さて、初演のアンドレは麻生薫です。今から考えれば少々太めのアンドレでしたが、上背があり芝居も歌も上手い生徒さんでした。退団して俳優の川地民夫の後妻になりましたが、41歳の若さで卵巣がんのため亡くなっています。

初演だったからということもあるのでしょうが、僕にとってアンドレは麻生薫以外考えられないのです。

 

美里景に憧れた日々

そして、懐かしい美里景(後に「みさとけい」とひらがな表記に改名したそうですが)がアランを演じています。今年の「ベルサイユのばら45」で緒月遠麻が好演している役ですね。

あの当時170cmというのはもう他の男役よりアタマひとつ大きいくらいでして、麻実れいが出てくるまでは彼女が一番背が高い生徒さんだったのではないでしょうか。かなり目立つ男役で、僕はいつも彼女をオペラグラスで追っていました。

そうだ、美里景に自分の茶色の財布にサインしてもらったのを覚えています。後生大事にして毎日使っていましたが、あれは一体どこに消えてしまったのかな。

調べてみたら、美里景は現在宝塚受験支援スタジオを経営しているそうです。

 

初演のフェルゼン、大滝子はどこに行ったのか

そう言えば、初演の初風諄も榛名由梨も揃っているのに、なぜ「ベルサイユのばら45」には大滝子がいないのでしょうね。

大滝子のフェルゼンは、貴公子という雰囲気にふさわしい貴族的な立ち居振る舞いが絶賛されて、初演を大成功に導いた功績があります。

宝塚100周年のときにもOGとして出演されていませんでしたね。宝塚の外では名前を光原エミカに改めてコンサートやディナーショーをしているそうですが、今年は「ベルサイユのばら45」で華やかに記念公演が行われているというのに、初演のフェルゼンを演じた男役の名前が全くあがらないというのはとても不自然に感じられました。

 

昭和の傑作としての「ベルサイユのばら」

当時低迷していた宝塚歌劇を大ヒットに導き、新しいファンを根付かせたのはこの1974年初演の「ベルサイユのばら」ですが、それは実際に長谷川一夫の功績によるものが大きいと僕は思います。

妹と話していて思い出したのが、「漫画のように目に星を散らせなければ」と照明の工夫と主人公たちの立ち位置、そして座席のどこを見たらいいのか、という詳細な指示を与えたというところです。それはオスカル役の榛名由梨の化粧の工夫と「見せる」ラブシーンのみならず、劇場全体をひとつの芸術として愛した長谷川一夫のすばらしいアイデアでした。

今通してみると初演の「ベルサイユのばら」には少々古臭さを感じますが、それは僕たちがもっと自然でもっと軽い所作が加えられた平成版に慣れているからだと思います。

ただし、この初演の大時代的な「ベルサイユのばら」は歌も芝居も所作も含めてやはり「僕の青春の一コマ」であったと確信していますし、それはあのとき妹とともに客席で大泣きした若い僕のちょっぴり恥ずかしい思い出でもあるのです。

 

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