2018年花組「ポーの一族」で耽美な世界に浸り原作を思い出す

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僕は「ベルサイユのばら」と「ポーの一族」はリアルタイムで堪能していた世代です。特に「ポーの一族」はその幻想的な題材と美しい絵、そして「断片」としての短編が次第にからみあい、エドガーとアランというバンパネラたちの背景と歴史に迫っていく、というかなり斬新な漫画で何度も読み返したものです。1970年代というと少年漫画は「ドカベン」「あしたのジョー」などのスポーツ熱血モノが主でして、僕のような図書館に入り浸りの「本の虫」には少々違和感がありましたから、なおさらです。

何十年たってもあの感動は忘れてはいませんし、最近ではまた漫画シリーズが再開されたということで注目していた作品です。脚本・演出の小池修一郎がやはり「ポーの一族」のファンだったということを知って密かに親近感を抱いてしまったのも影響し、DVDの発売を今か今かと待っていました。

さて、脚本について。
僕はあのアッチへ飛んだりコッチに戻ったりという年代を無視した短編の集合をどうやってひとつの舞台にまとめるのか、大変興味がありました。

所々ものすごいスピードで説明しては、次の場面では原作どおりの言葉を使ってゆるやかに流れます。その「ものすごいスピード」の部分が、原作を知らないひとたちにはちょっと難しいかなと思いました。原作を知っていると脳内操作で抜けている部分を補えるからです。

例えば、メリーベルを迎えに来る場面。原作ではメリーベルはすでにエドガーが人間ではないことを知っています。知っていながら、そして彼を殺さなければならないと思いながらも彼女は最後にはエドガーについていくことを選びます。ここのところが舞台だと全く説明さえされず、メリーベルはバンパネラになることを知らずにただ愛するエドガーについていくように見えます。彼女の重大な決心がどうもうやむやなのです。

また、最初のほうでは、エドガーがまだ幼いころにどうやって老ハンナに拾われたかという場面が出てきます。エドガーは4歳で、メリーベルは生まれたばかり。宝塚ではいきなり「そして13年後…」となっています。つまり、エドガーはすでに17歳、メリーベルは13歳。

原作では11歳のエドガーは7歳のメリーベルを養女に出させてから、老ハンナの死や襲撃のせいでやむなく14歳で「永遠の少年」にさせられ、3年後にメリーベルに会いに行きます。全く成長していない彼を見て、13歳になったメリーベルは初めて何かが彼の身に起こったと気づくのです。

舞台では3年などという時間の経過を説明するよりも年齢を変更したのでしょうが、17歳と言えばそろそろヒゲも生え始め声変わりはすでに終わっている時期です。「永遠の少年」にその設定では少々トウがたっているなあと思ってしまいました。

まあそこらへんの齟齬は無視したほうがよさそうで、明日海りおと柚香光は「年齢不詳の美しい少年たち」ということにしておきましょう。

全体としては原作短編のいくつかをまとめて、非常によくまとまっていたと思います。特にシーラとポーツネル伯爵に性格を与えて出番を増やしたことで、彼らが舞台で鮮やかに蘇ったように見えました。

そしてストーリーの終わり、ギムナジウムのシーンの後には「お約束」の短いショーがあります。元気いっぱいのロケットも男役群舞もデュエットも。この部分の豪華な楽しみは宝塚ならではですね。

ただし、最後の挨拶には他のキャストたちが役の衣装で現れているのに、エドガーとアランとシーラだけは華やかなショーの衣装で出てきます。ここは違和感がありました。「ポーの一族」自体が一本立てのミュージカルなのですから、フィナーレには全員主人公たちの衣装で出てきてほしかったです。明日海りおはエドガーのかつらさえ捨てて地毛のストレートな茶髪で登場していて、何かいきなり耽美な世界から現実の華やかな宝塚式フィナーレを突きつけられて目が覚めたような思いでした。それとも羽根がなければ宝塚の舞台は終わらないのかなあ…。

長くなってしまったので、次の記事でキャストについて書きたいと思います。

 

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