チマタではポツポツと北翔海莉の「One Voice」のブログ記事が出始めていて、CDかDVDが出るといいのにと1万キロ離れた南半球からつぶやいています。チケット難もすごかったそうで、運良くご覧になれた方が羨ましいです。
さて、今日は1991年の雪組「花幻抄」について書こうと思います。宝塚の日本物秀作として歴史に残るといっても過言ではない作品です。
「はなのおどりを〜よ〜いやさ〜〜〜」と拍子木でパッと明るくなる色彩豊かな舞台。
僕は日本物も大好きでしたから、当然「和物の雪組」とそのトップの杜けあきの舞台にはいつもワクワクしました。「春は〜はかなき一夜の夢なれど〜♪」という歌も(おや、まだ歌詞を覚えていることに僕自身もビックリ)伸びやかな杜けあきの美しい歌で幕開けにふさわしい一曲です。
「花幻抄」の中でも僕が好きだったのは「祭だ〜祭だ〜ワッショイワッショイ♪」で団扇を持って歌う粋な杜けあきの姿、いや、もう惚れ惚れするくらいの水もしたたるイイ男です。お相手の鮎ゆうきも可憐でした。
そして「花幻抄」と言ったら絶対忘れてはならないのが、松本悠里とのデュエット、あの有名な「深川マンボ」です。
マンボのリズムにアレンジされた深川の曲に乗って軽快な踊りが繰り広げられますが、そのテンポの速さと確かな足さばき、そして指先にまで神経の行き届いたふたりの見事な動きに見とれてしまいました。
当時の雪組には二番手として一路真輝、そしてその下には高嶺ふぶき、海峡ひろき、轟悠、そして一学年下の香寿たつきという、まさに百花繚乱のごとく、歌が上手くて華もある男役がひしめいていました。和央ようかもまだ新進として端っこにいたころです。ただし目立ってはいましたが。
そんな雪組の舞台は将来トップになろうという男役たちの宝庫で、目移りがしてオペラグラスを置くヒマもないほどでした。懐かしいなあ。
杜けあきはその後退団してしまい、僕も宝塚から完全に遠ざかっていました。
しかし、2014年には宝塚100周年のイベントとして「『SUPER GIFT!』が上演され、宝塚OGたちがいまも失われていない華やかな舞台を見せてくれたそうです。僕は残念ながら舞台そのものは見ていません。が、ちょうど動画サイトにあがっていたのを先日見ることができました。
そして二幕目、よく覚えているあの懐かしいイントロが出たと思ったら、杜けあきが客席から「祭だ〜祭だ〜ワッショイワッショイ♪」と歌い始めたではありませんか。団扇には「けあき」の文字、そして青い着流しを粋に着こなしています。着物と日本物に慣れたひとの身のこなしは美しく、懐かしい男役の姿そのものです。
そのあとは星奈優里をお相手に「深川マンボ」が始まりました。
星奈優里もダンスの名手ですから、よく杜けあきについていっています。
しかし、杜けあきの優雅な手の動きと「いよっ」という掛け声、しなやかな男役の仕草が現役のころと変わりないオーラを醸し出し、彼女のさらに円熟した踊りに僕はすっかり魅了されてしまいました。
日本物は最近ではレビューに比べるとあまり上演されないと聞きます。
和風の所作は、慣れていないとどうしても普段の動きが所々にあらわれてしまいますし、腰を落とした動きと、指の先までぴんと張り詰めた優雅な手と軽やかな裾さばきなどは、一朝一夕では身につかないものと言われています。
美しい日本物ももっと見てみたいと切に願いますが、さて次はどこの組がこの雪組時代を超える新しい舞台を見せてくれるでしょうか。
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コメント
深川マンボ、杜けあき・松本悠里コンビのがとてもよかったです。わりと最近、100周年前後だったと思うのですが。
肩周りに紋を染め抜いたあの浴衣、いかにも玄人ふうで女っぷりも男っぷりも2段階はアップしますよね。
こんばんは。
今日の記事は前半はもう、へーへーへー、の連続で
知らないことばかりだったのですが、
杜けあきさんと星奈優里さんのSUPERGIFTでのお写真一枚で
素晴らしさが垣間見えるようですね。
わたしの宝塚初観劇は多分3歳ごろのべるばらブームの頃ですが
当時は毎年春はチョンパで始まる春の踊り+お芝居でした。
高齢の祖母も華やかで喜んでいましたし、子供心にわたしも
あの華やかでしっとりした世界が大好きでした。
ですからわたしは、宝塚ならではのチョンパの和物をやってほしい、
と思っているのですが、それは結構オールドファンの部類のようでして
最近ヅカファンになった方は和物は敬遠される方が多いようです。
またトップさんの意向で長期にわたり在任していても
一度も和物をやらなかったコンビもありますし(苦笑
そうなると下級生は一度も和物の経験がもてない、
見る観客側も和物がわからず敬遠しがちになる、という負のループの
ようです。
それで最近は、必ず動員確保の見込のある退団公演に和物を持ってくる
というのが通例のようですね。
雪組はいまも和物が多いですし。
でも今の雪組のように、有名原作や話題作をもってくれば
和物であっても、動員は確保できるという手ごたえをもってそうですし
2年に一回は必ず宝塚舞踊会という日舞の発表会を1日だけされていますし、
劇団としても苦心しながら和物の灯、技術を継承しようと
しているようですね。
・・・それにしても桜華、楽しみです。今もノブナガやってますが。。。
粗忽者ですみません、松本悠里バージョンのこともふれていらっしゃいましたね。
お詫びがてら、というわけではありませんが深川マンボの話題をひとつ。
One Voice遠征中の「空白の一日」を池田文庫で過ごしました。知りたかったのは宝塚の和物と東宝歌舞伎のつながりについて。係員のご厚意で小林家寄贈の未整理プログラムを見せていただくことができましたが、その中の一つ、昭和36年5月の公演プログラムに演劇評論家・戸板康二が寄せた「銀橋のかぶき」という一文がたいへん刺激的でした。
その中で深川マンボにふれている箇所がありましたので、ちょっと引用してみます。
-----—引用ここから----------
東宝劇場では、花道は不完全だが、レビューのフィナーレに最大の効果を発揮する、オーケストラ・ボックスを囲う半円形の、いわゆる銀橋が、強力に働く。そして、そこに、長谷川(一夫)が鳶の者、(水谷)八重子が芸者というような姿であらわれる。あの景気のいい感じは、ほかでは見られないものである。
扇雀が戦後、そういう劇場に出て、演じた中で、最も印象に残っているのは、マンボで「深川」をおどった一こまであったが、これも、東宝歌舞伎の特色を、体したものだったと思う。あの魅力は、扇雀が、東宝に出たことで、身をもって把握したのだといえる。そしてその魅力こそは、そのまま銀橋につながっているのである。
-----—引用ここまで----------
「あの景気のいい感じ」って、まさに深川マンボの形容です!
といっても長谷川と八重子が深川マンボを踊ったわけではなく、マンボ芸者は中村扇雀(現・坂田藤十郎)でした。タカラヅカ独自の舞台機構・銀橋が可能にした歌舞伎由来の和物マンボを、今度はタカラヅカが逆輸入したわけで、歌舞伎とヅカの関係はホントに面白い。
そういえば、坂田藤十郎の奥方はタカラヅカ出身の扇千景でしたね。
ムコさん、こんばんは。
ほう。一度も和物を演ったことがないコンビというのもあったのですね。僕は和物も宝塚の特色のひとつと考えていますし、また音楽学校で一通り習い、ましてや名取りの生徒さんもかなりいるのですから、もっと見たいと思います。特にレビューの代わりに踊りというのも華やかでまた別の魅力がありますよね。
あ、そう言えば北翔海莉の退団公演も和物。僕も楽しみにしています…ナマで観られないのが残念だけど。
盤竜さん、こんばんは。
僕は残念ながら「深川マンボ」についてはあまりよく知りません。初めて観たのもこの杜けあきと松本悠里のものでした。
景気のいい感じ、とはまさに深川マンボの世界ですね!
長谷川一夫と中村扇雀が踊ったのですか? そりゃスゴイ…見てみたかったです。