1993年星組「PARFUM DE PARIS」で高田賢三ファッションに身を包む紫苑ゆう

ちょっと昔の宝塚
画像引用元: https://www.takarazuka-an.co.jp/fs/takarazuka/PRG-41060B
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週末に26年も前の宝塚星組公演「パルファン・ド・パリ」を映像で観ました。1990年代の宝塚公演はまだ昭和の香りのする曲目が多く、僕などには大変懐かしい雰囲気の舞台です。

1993年の宝塚大劇場こけら落としの公演でした。

 

「宝塚のパリ」に酔える舞台

宝塚とパリは切っても切れない関係にあります。
巴里祭というコンサートが年に一度開かれるのも、パリを舞台にした作品が多いのも、宝塚ならではです。

そして、新しい大劇場オープンに当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった高田賢三のファッションを取り入れた舞台ということで、この「パルファン・ド・パリ」はかなり話題になりました。

宝塚ととても相性がいいリンダ・へーバーマンを再び振付に呼び、ダンスにも力が入った舞台で、伸び伸びと踊る麻路さきと白城あやかが印象に残ります。

それにしてもこのころの宝塚は(と言うより、「この作品が」と言うべきなのでしょうか…)、紫苑ゆうと白城あやかがトップコンビであるにもかかわらず、別格娘役の洲悠花が娘役としての歌をほとんど全部歌い、娘役トップの白城あやかが一度も歌を披露せず、その白城あやかと麻路さきのコンビダンスがかなり多く、なおかつ花組から安寿ミラと真矢みきの特別出演までありました。特別出演と言っても出番はほんの少しですし、こうしたキャスティングに関してはどうも散漫な印象を受けます。

それでも作品としてはとてもよくできたレビューではありました。トップコンビがほとんど全編出ずっぱり現在の宝塚レビューに比べたら、かなり異色ではありますが。

 

有名デザイナー高田賢三の衣装

衣装に高田賢三を起用したことで、それからの宝塚の舞台がかなり変わったと言われています。

彼は衣装をデザインしただけではなく、舞台化粧から髪の色に至るまで細かく指定しました。つまり、髪は全員黒髪。そして、それまでは皆目の上下に必ず真っ青なアイシャドウを塗っていましたが、それもなし。

この公演を境に、舞台メイクが今のようなナチュラルなものに変化していったのです。ただし、海外モノの多い宝塚で全員が黒髪というのもインパクトが薄く、舞台に合わせて金髪に染める生徒さんが多いのは今も同じです。

高田賢三以前の宝塚の衣装は華やかではありましたが、男役衣装などは異様に肩を強調したものが多く、どちらかと言うと画一化していたような気がします。それを一掃してしまったのが高田賢三でした。

彼独特の配色が舞台にあふれ、群舞などではそれが生き生きと観客の目を楽しませたと思います。ただし、アタマから花が生えているとしか見えない針金を使った背負い羽根(いや、この場合は羽根ではない)もビヨーンと伸びて、ダンスでは顔にまでぶつかりそうでお世辞にも動きやすいとは言えません。

またタイツ姿が多く、すらりとしたパンツ姿を見慣れている僕には違和感がありました。「男役のタイツ姿」は足の形がそのまま浮き出ていて、つまり女性らしい足の線となって少々男役衣装の概念とは違うものになっていたのです。娘役のダルマ姿は反対に柔らかい曲線を強調しますから。

それでも、もちろん全員が舞台にあがるフィナーレなどの原色の洪水は、さすがにケンゾーの世界で圧巻でした。

 

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宝塚の永遠の貴公子、紫苑ゆう

現在では宝塚音楽学校講師の渡辺先生としてのほうが有名かもしれませんが、紫苑ゆうは宝塚90年代を代表するトップ男役であり、その雰囲気は今も変わっていません。

僕は100周年記念のコンサートで紫苑ゆうが真っ白な軍服と白いブーツで登場したときには、本当にたまげました。そうした衣装(自前だったということでなおさらビックリしました)が20年以上たってもまだ素晴らしく似合うということに、です。

「パルファン・ド・パリ」当時の1993年は彼女の全盛期で、華やかな舞台はその高田賢三の衣装とも相まって、今でも歌いつがれる主題歌をつくりあげました。

紫苑ゆうはこの舞台でももちろん紫苑ゆうであり、その宝塚的な甘い夢を見せてくれる王子様として、このひとほど適任の男役はあまりいないように思います。

宝塚には様々なタイプの男役がいますが、彼女の男役像はあくまで優しく甘く、軍服の着こなしには確かな気品がありました。荒々しさや男臭さとは無縁の夢の世界です。そして、その女性が安心して観ていられる夢の男性像を具現できたのが、紫苑ゆうだったのですね。

 

別格娘役としての洲悠花の存在

洲悠花の美しい歌声と存在感は、娘役スターとしてのエトワールだけではありません。
この時代の彼女は、今の宝塚にはいない「別格娘役」でした。つまり、ほとんど娘役トップと同じ扱いの登場ですし、歌もほとんど彼女が歌っています。陰ソロではなく舞台の真ん中で、です。娘役トップの白城あやかは一度も歌っていないのです。

こういう扱いはあまり例がなく、退団の際には「サヨナラショー」さえ与えらたそうです。

「別格娘役」と言われてもいい娘役たちは今も何人かいますが、この1990年代の洲悠花ほどの(つまり、娘役トップとほとんど同じ扱いと出番の)生徒さんはいないと言ってもいいのではないでしょうか。不思議です。

考えられるひとつの理由としては、娘役スターたちの低年齢化もあげられると思います。洲悠花は当時の男役トップ紫苑ゆう(64期生)のわずか2年後輩(66期生)です。「パルファン・ド・パリ」は彼女がなんと研13の年です。
「遅咲き」と言われた花組トップ娘役の仙名彩世でさえ研9でトップに就任し、研11で退団していますから、今では考えられないことかもしれません。成熟した安定の歌声を聴かせられる年齢になると、すでに退団となってしまうのですから。

いずれにしろ、洲悠花のような素晴らしい別格娘役がいつかまた現れる可能性は、それこそ「才能のある娘役を中央に立たせる舞台」がどれだけ作れるかにかかっているような気がします。

 

「パルファン・ド・パリ」は1990年代の斬新で革新的な舞台を、新しい宝塚大劇場で見せてくれました。その時点から宝塚がどう変わってきたのかに俄然興味がわいてきましたが、そのためにはもう少し僕が離れていた時代、つまり2000年から10年ほどの間の舞台をじっくりと観てみたいと思い始めました。

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