東宝「エリザベート・ガラ・コンサート」ー姿月あさとのトートに熱狂する観客

退団後のジェンヌたち
画像引用元:http://omoshii.com/interview/12582/
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姿月あさとが元宙組初代トップスターだということは知っていましたが、見たのはバラエティーやクイズ番組に出演していたときのもので、ゆっくりと半分眠ったような話し方をするひとで、どこか不思議な雰囲気をもっていました。

僕が最初に見たのがこれだったので、どうも男役トップスターというイメージに合わなくて、お披露目公演だった「シトラスの風」を映像で見て、あまりのギャップにビックリしました。歌は格別に上手いし、ダンスも切れがよく、立ち姿も美しい完璧な宝塚男役ではありませんか…。

その姿月あさとを初めてナマの舞台で見たのが、神奈川KAATの宝塚OG舞台「CHICAGO」です。悪徳弁護士のビリー・フリン役でしたが、冷たい無表情が災いしたのか、悪徳の嫌らしさも下品と紙一重の金の亡者の影もあまりなく、これは適役ではなかったようです。

さて今回エリザベート・ガラ・コンサートに行く前に、僕は映像の1998年宙組の「エリザベート」をDVDで鑑賞しました。頬のふっくらとしたまだ若い姿月あさとが、やはり傑出した歌の上手さでトートの冷たい雰囲気をよく表してはいましたが、エリザベートに対する執着というよりは支配欲だけが目立ちました。芝居はあまり得意ではなかったようで、冷たさの中に秘めた愛の激しさが伝わってこないのです。

ただし、それは映像の貧しさが原因のひとつとも言えます。やたらにアップが多く、濃い舞台化粧の顔ばかりが目立って、どうも芝居に集中できません。舞台化粧というものは、舞台とその照明の下で見るから映えるのであって、テレビの画面でアップに耐えうるものではないのです。テレビのドラマならまだしも、革手袋の手のアップなどもあり、どうにもなじめませんでした。ここでも姿月あさとの固い表情ばかりが細部にまで目立ち、舞台映像を撮るのに慣れていないひとが撮ったのが明らかで残念と言うほかはありません。

さて、宝塚「エリザベート」20周年に当って、18年たった彼女の舞台では何かが違いました。歌の上手さに変わりはないのですが、そこに年齢のつややかな重みが加わっているのです。以前観客を魅了したであろう美貌はそのままに、そこから若い焦りと固い表情を取り除いたところに今の姿月あさとがあるのだと思いました。

特にコンサートの中盤での「最後のダンス」は圧巻でした。冷たく静かに始まった曲がクライマックスを迎えたあたりから、会場を見えない魔術で包み込んだようでした。僕たちは姿月あさとの身体を借りたトートの艶やかな歌声とその暴力的なまでの支配力に酔ってしまったのです。スタンディングオベーションは必然だったかもしれません。最初に立ち上がったのは最前列にいた女性でしたが、その後すぐに他の観客たちも(そして僕も)思わず立ち上がり、拍手は長いこと止みませんでした。

こうした陶酔と熱狂の現場に居合わせるのはそうそうありません。

ましてや10代のアイドルのコンサートでもなく、観客はほとんどが成人した女性たち、またはそれ以上の高齢の方たちです。僕のような中年過ぎの男性もチラホラ見えました。そうした観客が等しく熱狂してしまったのです。

歌のクオリティーに関して言えば、僕は一路真輝のほうが安定していると思います。それでもこの日の姿月あさとのバージョンは、彼女の「悪徳弁護士ビリー・フリンの冷たく固い歌声」しか生で聴いたことのない僕にとって、まさに死の権化そのものに見えました。

姿月あさとの宝塚時代のトートは、完璧なものではなかったかもしれません。
しかし今回僕が観たトートは、18年後の彼女の「トートの解釈」に沿ったものだったに違いありません。冷たく、愛とは執着であり支配であり暴力であり独占であるということの。

ただし、宝塚バージョンの「抱き合って高みにのぼる」という言わば「ハッピーエンド」よりは、帝劇バージョンのキスの後に死んだエリザベートを棺に横たえる(棺は立っていましたが)のほうが姿月トートには合っていると思います。

つまり、満足そうに抱き合ったまま昇天するより、エリザベートの死により自分の愛も死に、その先には「虚無」しかないと悟るあのトートの放心したような顔が、まさに姿月トートのフィナーレにふさわしいのではないでしょうか。

またまた余談ですが、僕はあの帝劇エリザベートのトート役になぜ宝塚OGを使わないのか不思議です。男女の性を超えた存在である死(=トート)には、宝塚の男役OGをがふさわしいような気がします。特に姿月あさとは身長もありますので、男性俳優たちの間にあっても見劣りすることはないでしょう。倒錯的で妖しくも素晴らしい舞台になると思うのですが…。

しかし、この姿月あさとというひと。カーテンコールで普段のふんわりとした喋りに戻ってしまったときのギャップが何とも言えません。湖月わたるも地声はいきなり甲高く可愛らしくなりますが、姿月あさとの場合はもう全体から受ける雰囲気がガラリと変わってしまうのです。10周年のエリザベート・ガラ・コンサートのフィナーレで、紫苑ゆうがあのトートの扮装のまま気のいいおばちゃんのように口元の微笑みを手で押さえながら階段を降りてきたときと同じような衝撃です。宝塚の男役は、現役だろうとOGだろうと、不思議で面白くて華やかで美しいイキモノに変わりないのです。
もう少し続きます。

 

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コメント

  1. ミッシェル より:

    ヅカメン様
    早速、オーストラリアから、エリザベートガラコンサートの記事を有難う御座います。
    私もあの時、あの場所で、同じ体験をしたのに、それが何だったのか?説明出来ずにいました。
    ただ、ただ感動しました。
    頑張ってもっと言えば、魂が震えました。
    しかしながら、ボキャブラリーが乏しく、その位にしか、表現出来ない自分を、もどかしく思っていたところでした。
    ヅカメン様の、臨場感溢れる文章を拝読して、これからは、何時でも、ヅカメン様のこの記事を読めば、あの感動が甦るんだ!!
    と思うと、感謝せずにはいられません。
    素晴らしいご感想を有難う御座います。
    そして、続きも期待していますね。

  2. zukamen より:

    ミッシェルさん、こんばんは。
    あれだけ実力のあるトップと元専科ばかり、素晴らしいコンサートにならないわけがありません。
    楽しかったですね。。。
    欲を言えば他のひとたちのバージョンも見てみたかったですが、時間がありませんでした。
    残念です。
    続きはこれから書きますね。

  3. さこ より:

    いつも楽しくブログを拝見しています。
    私も、同じ日の公演を見ました。
    姿月さんご本人としてのトートの完成型をみたように思います。
    OGへの感傷ではなく、全く新しい体験として引き込まれました。
    共演やコーラスの方々も、姿月さんにつられて、良い意味での緊張感というか、もう一段クオリティが引き上げられているようにも感じました。
    昨日の夜のアニバーサリーバージョンも見に行ったのですが、オープニングで、トートが6人並ぶさまは、壮観というよりも、トートだらけやん。という印象でした(@_@)が、お祭りですものね…

  4. zukamen より:

    さこさん、こんにちは。
    おお同じ空間を共有していたのですね。僕は本当に行ってよかったと思いました。
    もう2−3回ぐらい観たかったです。他のヴァージョンも。
    トートが6人…並んでいたのですか。
    まあ、コンサートでありお祭りですから。
    それでも、芝居としての「エリザベート」ではもはやありませんね。
    僕は、マイクが邪魔でもどちらかというとフルコスチュームバージョンのほうがインパクトが大きいような気がします。

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