2017年花組「金色の砂漠」ー悲劇に秘められた愛憎のゆくえ

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「金色の砂漠」に関しては全く先入観なしの観劇でした。つまりあまりにも急遽購入したチケットだったため、ネットを探し回る暇もなかったからです。着席してから、ざっとプログラムのストーリーのページを斜め読みしただけです。そのせいか、ひとりひとりの顔を確認する間もなくストーリーにじっくりと集中できたのは返ってよかったように思います。プログラムで見た名前の難しさには舌を巻きましたが。

いずれにしろ、僕にはまだそれぞれの生徒さんたちの名前も顔もそれほど知っているわけではないので、トップの何人かしかわかりませんでした。

 

伏線の多いストーリーライン

 

ストーリーとしてはある程度どんなふうに進むか想像できましたが、それでも伏線や明らかにされないことがあり、観客に観劇後「あれは一体どうだったのか」と考えさせる意味では成功していると思います。

まず最初のシーン。
影絵としてラクダたちとひとがひとり歩いていきます。このあと、布を使った砂と砂漠の風景が色といい動きといい、砂漠の荒涼とした風景を実に巧みに表現しています。そしてふたつの屍。この「屍」が下級生ではなく、ジャハンギールの鳳月杏とアムダリアの仙名彩世であったことは、幕が下りたあとでプログラムのキャストから知りました。

滅ぼされた国の王と王妃の屍がこうして砂漠で朽ちるにまかせられたであろうことは、想像に難くありません。そして、それがまたタルハーミネとギイの最後の姿に重なり、二重の悲劇としての伏線になっていました。

 

王女と王女付き奴隷という設定

 

タルハーミネ(花乃まりあ)は砂漠の国の王女。ギイ(明日海りお)は彼女付きの奴隷。「王女には男の奴隷が、王子には女の奴隷が」というのが「しきたりゆえ」と簡単に片付けられてしまうのが、設定として少々無理があるような気がしました。

それでなければ、主役のトップふたりにその役を与えた意味がないのだとは理解できますが、それにしてもその質問を初めてしたテオドロス(柚香光)に「しきたりゆえ」では…。

物語の基本設定なので、もう少し理由付けをしてもらいたかったです。異性を奴隷として与えれば、成長するにつれて必然的に性の芽生えがあると思うのですが、そこらへんももちろん宝塚なので無視されています。

 

出生の秘密とは

 

そして、王妃アムダリヤ(仙名彩世)によって明かされるギイの出生の秘密。

彼の出自については絶対に何かあるなとは想像していましたが、滅ぼされた国とふたりの子を持つ王妃、滅ぼした国の王妃に恋をした征服者ジャハンギール王(鳳月杏)、そしてその強引な横恋慕と引き換えに命をたすけられた息子たち。

「しきたりゆえ」のエピソードとは違い、ここでは巧みにひとつひとつの謎に答えを紡いでいきます。ジャハンギール王がここで「滅ぼした国の王子たち」が娘の王女たちにそれぞれ寝室までともにする奴隷として与えられたことを知っていたかどうかという疑問が残りますが、僕はここでは「知らなかった」としたいと思います。

出生を隠して名もない奴隷にしたことで王にとっては彼らが生きようが死のうがすでに終わった出来事、そのあとは「出生を知らなかった者たち」によって偶然王女に与えられたとみたほうがよいでしょう。

 

ギイの男としての目覚め

 

また、子供時代のタルハーミネとギイは兄と妹のような関係にみえます。まだ男と女の愛をと家族としての愛の違いがわからず惹かれ合うふたりです。

しかし王女が適齢期となって婚約し、結婚前夜に初めて花嫁衣装を着た時に、ギイの男としての欲望に初めて火がつけられたのではないでしょうか。

タルハーミネも、気位が高いゆえに返って抑圧されていた彼女自身の欲望があらわになります。そして、だからこそ発覚したときには王家の者としての誇りと欲望に負けた自分への怒りから、奴隷のギイを死へと追いやることができたのだと思います。

 

芹香斗亜のジャーの愛とは

 

ジャー(芹香斗亜)の場合は、ビルマーヤの求婚者ゴラーズ(天真みちる)という飄々とした人物の登場により、「男としての愛」からゴラーズを含む「家族としての愛」に移行していったのだと思います。

まさに老奴隷ピピの言うところのふたつめの愛、「与える愛」を具現しているとも言えます。そこにはビルマーヤ(桜咲彩花)への性愛と欲望の入る間ももなく、ただ静かな諦観と慈愛だけが熾のように残ったのです。

タルハーミネ、ギイ、テオドロス、ジャー、ビルマーヤ、ゴラーズ、ジャハンギール、アムダリア、全ての愛と悲劇が複雑に絡み合い、そしてただひとつの結末である死へと向かって急ぎます。

テオドロスに死がもたらされないのは、彼に何ももしがみつくべきものがないからでしょう。愛も王国も。そして、ジャーとビルマーヤはお互いを慈しみながらも、決して見つめ合うことなく砂漠の道を進むでしょう。

 

タルハーミネの女性としての矜持

 

僕はこの舞台を観たとき、花乃まりあのタルハーミネに惹かれました。

誇り高く、傲慢で、その硬質で冷ややかな美貌と富と位を当然のものとして享受する女性。内にたぎるばかりの情熱を秘めながらも、最後までそれを愛として認めることのできないほどの矜持。ギイの「征服者としての愛」をアムダリアのように受け入れることのできないほどの矜持。だからこそ、彼女の最後の選択には「死」しかなかったのです。

今までの宝塚にはなかったような娘役ではありませんか。退団する花乃まりあが最後にこのような素晴らしい役に巡り会えたことは、彼女にとって幸運という他はありません。

この宝塚オリジナル「金色の砂漠」は随所に小さな「想像を誘う小石」が落とされていて、各々の観客の興味をひきます。僕の理解と感想は僕だけのものかも知れず、他の方たちはまた違う印象を持たれたに違いありません。

だからこそ僕にとってはとても面白い作品だったのですが、ちょっと長くなってしまいました。

次の記事では、各々のキャストについても少し述べてみたいと思います。

 

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コメント

  1. さえぽん より:

    zukamenさん 今日は。
    雪華抄も観劇できて 良かったですね。
    エリザベートガラと花組公演の2本立て。
    なんて贅沢なのでしょう!
    この舞台は 和物のスピードあるショーも お芝居もとても 気に入りましたので 明日もう一度見に行く事にしました。
    気高く 高貴なタルハーミネの心情を花乃ちゃんが きちんと表現し 花乃ちゃんの演技が しっかりしていたから 成立したお話しだと思いました。
    明日海さんも 前半セリフが少ないなか タルハーミネに対する熱い想いが 伝わってきました。
    対比する 第2王女とジャーとの切ない恋も キュンとしました。
    人の気持ちは時の流れと共に 変化して行く。
    そんな事を感じた ラストでした。
    花乃まりあさんが 良い作品に巡り逢えて この作品で卒業する事ができて 私良かったです。

  2. zukamen より:

    さえぽんさん、こんばんは。
    どちらも「すべりこみ観劇」でしたが、結構いい席でラッキーでした!
    ただし、どちらももう1回ぐらい見たかったというのが正直なところです。
    観劇の感想には何度も観る必要はないし、最初の印象を綴るのが一番新鮮なのではないかと思いますが、それでも「もう一度観たい!」と思う舞台もありますよね。
    今回はどちらも素晴らしくて、DVDを買おうと思っています。
    雪華抄も美しくてテンポもよく、もう一度見られるとは良かったですね!
    花乃まりあは最後に素晴らしい役に巡り会えたと思います。

  3. ムコ より:

    zukamenさん、久々に花組が観劇できてよかったですね!花組、ずっと再演オンパレードだったのですが久々のオリジナル、またそれもお芝居は最近宝塚では、人気急上昇の新進作家、上田久美子さん(通称ウエクミ)のものということで、、zukamenさんは気に入られたようですね。
    わたしは全く見ていないのでわからないのですが、宝塚が好きというタイプよりも、お芝居が好きと言う方がウエクミさんのお芝居を絶賛されていると思っていたんですが、今回の金色の砂漠はどうも違うのかな。絶賛されている方と、気がめいったと仰っている方と二分してる気がします。
    わたしの知り合いでも初めての宝塚観劇でショーはとても目にまぶしくて感激したのだけれどお芝居でちょっと気持ちが下がってしまったと仰ってました。
    でもzukamenさんの記事を拝見してちょっとわかりました。きっと花乃まりあちゃん演じるヒロインを好きになる人は、このお芝居お好きで、みりおちゃんファンの方は若干ダメに感じるのかもしれません。
    ウエクミさん、こないだの新聞記事のインタビューでもありましたが、全くお芝居の経験はなかったそうですがたまたま宝塚に合格してしまってからお芝居を勉強されたそうです。
    でもこうやってオリジナルのお芝居とオリジナルのショーの二本立て、という贅沢なことができるのが宝塚の王道だと思うので、そういう若い作家さんを発掘できるっていうのは、宝塚の底力を感じます。

  4. zukamen より:

    ムコさん、こんばんは。
    ウエクミ?とおっしゃるのですか。はあ。
    僕はまだ演出の方々まで名前がわからなくて。
    僕は芝居も好きで各国でかなり観ていますが、これは楽しかったですよ。
    そりゃ色々な宛書風もあって「ありゃ」という部分も散見しましたが、それは抜きにしても構成はきちんとしていますし、何より主役のふたりがよく書けていたと思います。
    作者はかなり色々な「映画」を観ているとお見受けしました。
    それも素晴らしい日本物ショーとの二本立てで、久しぶりにもう一回見たいという気分になりました。