前回で少々背景となぜふたつも「オペラ座の怪人」を原作としたミュージカルがあるのかについて書きました。
望海風斗は、2006年の花組・春野寿美礼の「ファントム」では従者を、2011年の花組・蘭寿とむの「ファントム」では団員のリシャールを演じました。その3回目の再演では自らファントムのエリックを演じたのですから、感慨ぶかかったことでしょう。
代わって真彩希帆は2012年に初舞台を踏んだ98期生ですから、蘭寿とむの「ファントム」時にはまだ宝塚音楽学校にいたのですね。
「ファントム」2公演を経験した望海風斗と初めて「ファントム」を経験する真彩希帆。
このふたりがつくりあげた「ファントム」が、こんなにもひとびとを魅了したのにはわけがあります。
望海風斗のエリック・ファントム
僕は今回このブログ記事を書くにあたり、ネット上にあがっている映像を少し探しました。
つまり、和央ようか/花總まり、春野寿美礼/桜乃彩音、そして蘭寿とむ/蘭乃はなの「あなたこそ音楽」を見てみたかったのです。結果、和央ようか組と春野寿美礼組の「あなたこそ音楽」は見つかりましたが、残念ながら蘭寿とむ組のものはかなり探しましたが見つかりませんでした。残念。
ほんの少しかいつまんだだけですが、それでもトップコンビがふたりとも歌が上手い「ファントム」はこの望海風斗と真彩希帆のほかにはいないと僕は思いました。それほど完成度の高い舞台だったのです。悔やまれるのは、それが実際の舞台ではなくDVDだったということだけです。
歌の上手いトップは今までにもいましたが、それがコンビともなるとなかなか難しいものです。そして、それがまた7年もの間全く再演のなかった、難しい歌の多い「ファントム」ともなると、弥が上にも周りの期待は高まるというものです。
宝塚歌劇団で再演の話が出た時に、この望海風斗・真彩希帆がトップコンビとなったからだという理由が想像できました。確かに「ファントム」の舞台には無視できないことのふたつがあります。それは、エリックが「音楽の天才」であり、クリスティーヌが「音楽の天使」だという役の本質です。それを観客に納得させるだけの力量があるトップコンビと言ったら、現在ではこのふたり以外にはいません。
確かに春野寿美礼の歌は本当にすばらしいし、表現者としての芝居にも個性があります。ただし、この「ファントム」に関しては、望海風斗の見せた暗い底なしの孤独感、つまり強さと傲慢さをたたえた外へのエリックに見られない弱々しさが感じられなかったのです。望海風斗がふっと暗転の前に見せる悲しい表情からは、孤独な魂の、胸が締め付けられるような痛みが直接観客の心に響いたのでした。
それだけに、クリスティーヌへの愛は痛ましく悲しく、それがたとえいっときでも喜びをもたらしたがゆえに、返って悲劇性を高めています。
望海風斗は「宝塚の華やかさに欠ける」という言葉を時々目にしますが、このような繊細な芝居を「伏せた目」や「魂の絶唱」で見事に表現したことで、そこには「静かな華」が見えたと誰しもが確信したと思います。
オペラ歌手を目指す純真な少女はクリスティーヌか真彩希帆か
エリックに音楽の才能を見出される前のクリスティーヌには、歌の上手さはもちろんありますが、どこか「まだ磨かれていない」原石のような雰囲気があります。そして、エリックに見いだされて歌のレッスンを受けることで、その歌が段々と本来の力を見せ始め、とうとうオペラ座のパーティーでその見事な才能が開花するのです。
最初にパリの街角に現れたクリスティーヌも、オペラ座のパーティーで美しい白いドレスで登場したクリスティーヌも、どちらも「パリのメロディー」を歌いますが、その違いに驚きました。磨かれていない原石から、美しい光を放つダイヤモンドが生まれた瞬間です。
僕はここのところで、真彩希帆の芝居ごころとそれを表現できる歌の才能に唸り、瞬きもせずに画面の中の白いドレスの真彩希帆を見つめていました。感激で目がうるんでしまい、ティッシュの箱を引き寄せたのもこの場面です。
ソプラノの高音域になると、どんなに普通の音域でよく聞かせる娘役でもハラハラさせる時がありますが、真彩希帆は堂々と無理のない発声で美しく伸びる歌声を響かせます。見事です。
いやはや、このふたりのコンビでもう少し大作をいくつか演ってほしいと思いますが、果たして僕はもう一度彼女らのトップ時代をナマで観ることができるのでしょうか。(トップお披露目だった「ひかりふる路」が唯一僕が観た望海風斗・真彩希帆の公演なのです…)
次の記事では他の雪組生徒さんたちについて書いてみたいと思います。特に、彩風咲奈と舞咲りんについて。
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